浅吉ひとりぼっち


長唄三味線方:杵屋浅吉:コラム・ブログ

浅吉ひとりぼっち--- コラム

COLUMN

vol.13・・・2017/5/30

 語るよりも奏でようと、このページから目を背けSNSでの告知ばかりで走り回っていました。何を書けばいいのかもわからなくて逃げていただけでもありますが…一つ書かねばならないことが有りました。

 まずはっきりと、杵屋浅吉は共謀罪※(テロ等準備罪)、戦争法、憲法改悪、原発推進、辺野古埋立て、水道売渡し等々、現政権の政策、法案に反対しています。地球の事と自由の事を第一に考えているからです。
 ※所謂「共謀罪」はテロ対策とは何の関係も無く(現行法で足りる)、国際条約締結には何ら必要無く(現行法でOK)、言論・表現・精神の自由を束縛し(現行法でも危ない)、著しい人権侵害を引き起こす(既に起きている)為、戦前戦中の「治安維持法」と同じ悪法であるという揺らがぬ事実に基づいています。

 政治家や役人の暴走で迷走する日本社会。治安維持法に戦争法に憲法改悪で戦前回帰したいのか?いや、天皇を蔑ろにしている点でそれとも違い、大衆の支持もないのでナチスとも違う、北朝鮮よりも不可解な国家に成り下がろうとしています。
 あまりの馬鹿さ加減に怒りと悲しみに震える毎日ですが、これ以上の事は専門家(せめて僕よりは頭の良い)に任せます。ここで僕が書かねばならないのは、何故芸人風情がこんなことに熱くなっているかということ。はっきりしておかねば安心して捕まれない。誤解を恐れず僕の信じるところを書いてみます。いつ削除されたり密告されるかという実験にもなりますので、ご興味ある方はお付き合いください。

 僕はよく自分や同業者を河原乞食と呼びます。これは決して自虐や卑下ではありません。生きる姿勢としてそうありたいと、誇りを持って名乗っているのです。
 河原乞食は結局のところ、「道々の輩(みちみちのともがら)」という流浪の民です。これこそが僕の精神的ルーツです。
 何よりも日本の国土を愛し、山岳、森林、河川、海浜を畏敬し、自然と共存し自由を求めて生きていた人々の総称。定住せず農耕せず主を持たず、どんな権力にも屈することのない誇り高き民。
 農耕の為に定住した人々に対しての彼らの居場所が「河原」でした。昔は川が国境だったわけで、河原には税がかからず権力が不介入のいわば「緩衝地帯」。多くが芸人や職人などの特殊技能を持ったこの集団は、河原を中心に一般社会とも上手に付き合っていました。江戸時代には非人などと呼ばれながら町にも溶け込み、或る者はまた河原に小屋を建てて歌舞伎を始め、或る者は吉原の様な幕府公認の遊郭を全国に作ってちゃっかりと逞しく生き残ってきたのです。
 その後時代は移り現代の日本は民主主義国家となりました。憲法が「主権在民」を明記し、支配者も身分も存在せず差別も無い自由の国。全国民が一人一人絶対権力者となり、道々の輩も本当の自由を手に入れられるはずでしたが…。

 土地と体制に縛られてきた多くの定住民は、上古の昔より永年培った百姓根性のせいか民主主義が苦手。公僕であるはずの政治家や警官を「お上」に祀り上げ「お達し」を守り「年貢」を納めてる方が安心という摩訶不思議な感覚。主権者が使役する者に頭を下げるという矛盾。何処へ行っても庄屋と小作人的な上下関係。男尊女卑も変わらず、自分の「村社会」を脅かす者への差別と拒絶は一向に無くならない。多数派であることが何より大事で、職場やご近所、ランチやファッションで「村八分」になるのを何より恐れる…結局まだまだ何も変わっていないのです、この国は。
 ですがそんな矛盾や間違いに気付くために文学や音楽、学問や芸術が有るのだと信じています。素敵な人も立派な人もちゃんと居る。心ある人の声が、少し先を進む姿が、歴史の教訓が、素晴らしい本が、作品が…少しづつでも我々の目を醒まし、成長させ、過ちを改め、心を豊かに、より良い社会に変わって行く。神や王の為ではなく、人の力による人の為の歴史を創っていく、そんな力が音楽にもある。大袈裟じゃなくそう思って取り組んできました。

 そんな想いをものの見事に打ち砕くのが「共謀罪」です。個人の思想信条は縛られ自由な表現は規制され厳しい監視のもとに置かれます。詳しい内容については今回我慢します。最も重要なのは、この法律によって「心情的『お上』」が遂に本当の支配者に戻るという事です。我々の税金で飯を食う奉仕者が特別な権力を持って飼い主を管理するという冗談のような現実。しかも民主主義が苦手な国民を上手く騙して、間違った数の論理でまんまと我々が希望した事にされています。民主的手段で民主主義を投げ棄てる稀有な民族、それが我々です。
 冗談じゃない。僕は希望してない。心情的にも現実的にもお上なんて要らない。絶対権力者の居た時代でさえ支配を拒んできた道々の輩として、主権者なのに支配されるなんて真平御免です。

 「お前はお国の伝統文化を継承する高尚で立派な家柄のくせに何が川原乞食だ、責任を持ってちゃんとお上に従え」と、お叱りを受けるかもしれませんが僕は嫌です。差別への反発から過度に高尚化されたものだけが伝統芸能ではありません。河原で人々が身分の上下なく泣いて笑って楽しんでいた姿を現代に、未来に伝え繋げ続ける事こそ伝統だと思っています。江戸の長唄はロックです。下世話で、滑稽で、卑猥で、淫靡で、言葉遊びと体制批判と浪漫と冒険、愛と涙に満ち溢れています。高尚だと思っているその曲、大体は酒とセックスの話ですからね。
 確かに僕は家元の息子ですが、ほんの100年程度の後付け設定の家元制度なんてどうでもいいのです。たまたま三味線を弾いていた血筋、芸を学ぶことができた環境が有り難いだけ。ソ連や中国みたいな芸術保護もヨーロッパのパトロネージュも要らない。誰の機嫌も取らないし指図も受けない。僕の揺らがぬ信念はたった一つ、芸人は自由を謳うもの。

 今後浅吉は「お上の意向に逆らい伝統を汚し同業者の不利益を生む」とかいって共謀罪の取り締まり対象になるでしょう。それでも僕は本当の事を言い続けるし三味線を弾き続けようと思います。芸人は自由なのです。差別されて邪魔にされても、自由の方が良い。歴史を歪めてふんぞり返っているより、自分の「河原」で食を乞う方がカッコいい。
 お上なんざぁクソ喰らえ、密告されても全力で逃げ続けますよ。皆様を共謀に巻き込まないよう十分気をつけますが…願わくばどこかで僕の三味線が聞こえたら、こっそり「チャリン」と恵んで下さい。

 みんなが、本当に自分の思う通り自由に生きられます様に、愛と平和を祈ります。

弓彦≒浅吉

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