浅吉ひとりぼっち


長唄三味線方:杵屋浅吉:コラム・ブログ

浅吉ひとりぼっち--- コラム

COLUMN

vol.3・・・2014/5/23

 先日の続きを書きます。

 明治維新で日本の社会は本当に劇的に変わったんでしょう。海外の文化が入るのはもちろんのこと、あくまでも江戸っ子としての個人的見解ですが、薩長土肥というような一部の西国人が江戸や京都を勝手に作り変えてしまったわけで、江戸の庶民もさぞ混乱しただろうと思っています。とはいえ、庶民の生活はそこまで変わらなかったようにも思います。ちょん髷は落としても和服は着てるし、珍しい洋食も箸で食べるし、やっぱり手近な楽器は三味線だろうし。少しづつ、混ざって、変わっていく。そういうものではないでしょうか。

 さて、明治中頃を過ぎると長唄界に一大革命が起きます。僕の曾祖父・4世佐吉の登場です。詳しくはウィキペディアを見て下さい。本当に詳細に書いてくださり有り難い限りです。とにかく偉人です。若くして歌舞伎のタテ三味線になり、新しい楽器を作り、新しい曲を作り、新しい演奏法を開発し、新しいスタイルを生み出した人です。そして、軍国主義から長唄を守った人でもあります。他にも各流派に名人がたくさんいて人気を競い合っていたわけですから、全盛期と言っても良いかもしれません。プロの時代とも言えますね。

 そうして第二次世界大戦も乗り切った長唄は、歌舞伎や日本舞踊の伴奏といったプロの仕事の他に、今度は高度経済成長の中で裕福な子女の嗜み的な形でまた庶民の方に広がって行きます。少しお金はかかるけど、自分でも頑張れば芸名を貰えて演奏会にも出られる。プロの人達と同じ舞台に立てる。そしていつかは自分が教える側に。そんな「習い事」としてのスタイルを確立していきます。習う人が多ければ教える人も増えるわけですが、ここが問題でした。中には悪い奴もいるもので、ろくに教えずに金ばかりむしり取るような奴や、腕も磨かずお金の力で師匠になってインチキ教えるような奴もいる。もちろん真面目な人もいっぱいいるんだけど、芸事は金がかかるし芸人はヤクザな商売みたいな悪い印象を持つ人も増えてしまいました。

 それでも、バブルなんかにも支えられてしぶとく生き残ってきたわけです。時代が進むにつれて経済情勢は変わり、趣味や娯楽もどんどん選択肢が増えて、長唄を選ぶ人が減ってしまっていても、基本的に我々の業界は現在でもこのスタイルで回っています。

 このように見てくると、伝統芸能だって随分変化しているんです。今もきっと変わっているんだと思います。では伝統芸能を「守る」っていうのはどういうことでしょうか。我々、守るというより、何かにしがみついて変わるのを拒んでいる気がしてなりません。現状維持、変わらぬ未来を守りたい、そんな風に感じます。

 録音技術の進歩で、一昔前の名人の演奏が聴けてしまう。聴いて感動して憧れる、参考にしようというのなら意義がある。音楽でレベルアップするために一番重要なのは良い演奏を聴くことだから。でも、録音が残っているおかげで変に縛られるのなら聴けない方が良い。伝統・家元・師弟関係・年功序列といったキーワードを踏まえて昔の録音を聴いたら、その通りに真似してコピーしないと罪だと思ってしまいますよね。

 昭和の栄光の時間を部分的に切り取って、それを神棚に上げて拝むことが「伝統芸能」だというのなら、そんなもん僕は守らなくて良いと思っています。それよりも、江戸の娯楽であったこと、明治の憧れだったこと、昭和に広まりをみせた親近感を、変わる時代に合わせて伝えていくのが本当に守るってことじゃないかな。

 本当は違うのかもしれないけど、僕は長唄を音楽として捉えています。三味線は楽器です。楽しさの詰まった器です。音を楽しむんです。作った人の気持ちを想像して、物語を感じて、登場人物と同調して、時代背景を学んで、先人達の色々な演奏を参考にして、自分の感性で演奏します。江戸の演奏家も、ひいじいさんも、じいさんも、きっとそうしていたと信じている。

 同じベートーベンでもカラヤンと征爾では…といった使い古された話はここではしませんが、伝統芸能=音楽が成り立つかどうか、これからも足掻いていこうと思います。ちなみに先日当流勉強会で演奏した「安宅の松」はベートーベンより古い時代の曲ですが、新鮮に弾けました。

弓彦≒浅吉

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